母となって五輪の舞台に返り咲く、カーリング女子日本代表の司令塔・小笠原歩。
『氷上のチェス』と呼ばれるこの競技。世界と対峙する彼女の強さの秘訣に迫る!
「子供の顔が浮かぶのは、試合が終わってから。だから勝った瞬間に感情が爆発しちゃうんですよね」
2013年12月、カーリング女子日本代表の『北海道銀行フォルティウス』は、世界最終予選(ドイツ)を勝ち抜いた。日本としては5大会連続の五輪出場を決めてみせたのだ。
リング上で日本代表の中心にいたのは、“カーママ”として注目を浴びる、小笠原歩(35)。
設立からわずか3年弱のチームを率いる彼女だが、大会中の要所で、その強い精神力を発揮した。
小笠原選手『このショットが決まったら子供が喜ぶ』とか、プレー中は一切考えません
その強靭な精神力について、小笠原選手は「カーリングはメンタルゲーム」とズバリ言いきる。
『このショットが決まったら子供が喜ぶ』とか、プレー中はそういうことは一切考えないそうで、家族すらもディストラクション(気を散らすもの)になるのだそうだ。
プレッシャーのかかる局面で、逆転勝利を演出
カーリング女子日本代表は、ランキング上位のドイツを撃破して波に乗ると、最後の1枚の切符を懸けたノルウェー戦に挑んだ。
前半にリードされながらも第8エンドで小笠原が直前のミスを修正し、一挙6得点につながる見事なショットを放った。
大きなプレッシャーのかかる局面で、見事逆転勝利を演出したのであった。
ドイツから成田空港に帰国した女子カーリングチーム。
小笠原選手の髪型が可愛い!
ネットでも話題の小笠原選手の髪型。
現在は2006年のトリノオリンピックのときとは異なり、髪色は黒くなり、髪型もナチュラルショートになった。
2006年のときよりもキュートなイメージに!
今回のソチオリンピックでも大きな話題になること必至!
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小笠原選手「2010年のバンクーバー五輪を見ていた時、プレーをしていたい、選手に戻りたいと思いました」
2006年のトリノ五輪の後、小笠原選手はジュニア時代から苦楽を共にしている船山(旧姓・林)弓枝とともに、競技の第一線を離れ休養することを発表。
その後、幼なじみの会社員男性と結婚。2009年8月に男児を出産し、母となる。
小笠原選手は、カーリングのメダリストにも母親になってプレーを続ける人は多いことから、いろんな経験をしてから復帰しても遅くないと、休養宣言をした時から思っていたという。
北海道に戻って、すごく憧れたプレッシャーのない生活も、いざ実際に経験してみると張り合いがなかった。
オリンピックみたいな夢に挑戦している時のほうが充実してたのに気づいたのだという。
選手復帰のきっかけの一つになったのは、”神様のお告げ”だった。
2010年のバンクーバー五輪を見ていた時、プレーをしていたい、選手に戻りたいと思ったそうだ。
小笠原とほぼ同時期に船山選手にも子供が生まれていたので、子供を連れて船山さんの家に行ったときのこと。
お互いもう一度やりたいんだけど、また一からスタートすることが厳しいことを知っているので、なかなか言い出せなかったという。
子供はどうするの?なまった身体はどうするの?次々浮かぶ悩み。
しかし、年齢のことを考えると、復帰するならいまじゃないかと思ったのだそうだ。
船山選手も、こうして同じタイミングで子供を産めたということは、”やれ”ということだ、神様のお告げだ、みたいに言っていたという。
4年半のブランクから世界と戦うレベルになるための“吐くようなトレーニング”
何かに導かれるように、小笠原歩と船山弓枝は復帰を決意。
北海道銀行などのサポートを受けて選手として復活したのであった。
女子カーリングチーム「北海道銀行フォルティウス」の道庁への訪問
ソチオリンピックに出場する「北海道銀行フォルティウス」が道庁を訪問したときの映像。
いざ、復帰を考えたものの、現実的には4年半のブランクが存在していた。
カーリングは、精神力だけではなく、見た目以上に、肉体的にも過酷なスポーツだ。
小笠原自身も最終予選直後には、体重が4kg近く減り、「ペラッペラだった」と語るほどだった。
3時間近くに及ぶ試合を戦い抜く持久力、1試合中に20回以上もブラシで氷を掃くための筋力や瞬発力も必要になるのだ。
ブランクを取り戻すため、小笠原選手はトレーニングに没頭した。
トレーニングは、体幹を鍛えるトレーニングや、腕立て伏せ100回など、辛すぎて涙を通り越して笑いが出てしまうほどだったという。
小笠原選手は身長(155cm)が低いので筋力で体重を増やしたかったそうで、筋肉痛で、スーパー行ってもカゴを持つだけで痛いなんてこともあったとか。
でもこれだけやったという自信がショットにもつながっているのだそうだ。
おかげで、トリノの時や去年よりも、精度がグンと上がったという実感があると語った。
小笠原選手「出産を経験すると、なんでも乗り越えられるんじゃないかとは思います」
小笠原歩には、肉体面以外にも、“母親”としての変化もある。
2013年9月の日本代表決定戦の時に、小笠原は「出産を経て肝が据わってきた」という言葉を述べているとおり、出産を経験すると、なんでも乗り越えられるんじゃないかと思うという。
試合や遠征の時には、子供を預けて家を出た瞬間、もうその瞬間から母親ではなくて、一人の選手。日本代表として、チームを引っ張る責任ある選手なんだと自覚するそうだ。
家を出た瞬間、気持ちはカーリング一色。逆に家庭に戻ったら息子と格闘する日々。カーリングのことを考えてる余裕なんてありません。
ソチへの意気込み
小笠原選手はソチオリンピックへの意気込みについて、「メダルという言葉は簡単に口に出せるものではないということは、五輪を2度経験しているのでそう思います。」と素直な気持ちを語る。
ただし、チームの調子が上がってくれば、世界にも通用する。一試合ごとに成長するチームだとチームの強さを強調したうえで、今回は結果を求められているとも感じているそうだ。
代表として、日本のカーリング界のためにも、これがカーリングなんだという試合を見せたい。最後の一投まで、一緒に感動を味わってもらいたいと、
母になり強くなった小笠原選手。
母の戦いが、もうすぐ始まるのだ。
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