
初代M-1ファイナリスト「ハリガネロック」が2014年3月22日解散!
漫才コンビのハリガネロックが、ブログ上で2014年3月22日のルミネtheよしもとでの舞台出演を最後に解散することを明らかにした。
また、所属事務所がマスコミ各社にファクスで報告。尚、解散の理由については明らかにされていない。
「ハリガネロック」解散後はピン芸人として活動予定
気になる解散後の活動予定だが、大上邦博は芸人や司会者として活動。日本各地で子どもに読み聞かせを行うなど、これまで行ってきた「パパ芸人」としての仕事も引き続き行う予定だ。
ボケ担当であったユウキロックはタレントとして活動するものの、自ら考案した「演芸インストラクター」という肩書で演芸の講師にも積極的に取り組んでいくという。
ツッコミの大上は解散したくない
ハリガネロックの解散理由については一切触れられていないが、大上はこの日更新した公式ブログ上で
「僕は芸人が大好きで、漫才が本当に大好きでして。解散は前から決まっていたのですが、もう漫才が出来なくなるのかと思うと今はやっぱり寂しくて、何より悔しい思いがあります。。皆様のご期待に応えることができず、本当に本当にごめんなさい」
などと、明らかに不完全燃焼の解散であることを綴っている。
漫才ではなくピンの活動にエンジンがかかっていた、相方のユウキロックの活動が影響を与えたと考えていいだろう。
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初代M-1準優勝、ポストとんねるず…「ハリガネロック」の輝かしい栄光
ハリガネロックはNSC大阪校の11期生。同期には陣内智則、ケンドーコバヤシ、 中川家などなど現在テレビで大活躍中の人気芸人が多くいる。
ハリガネロックは初代M-1で準優勝を獲得した記憶が強いが、それより以前にも1996年には関西テレビ「爆笑BOOING」 V5チャンピオン・第10代グランドチャンピオン、1997年には第18回 ABCお笑い新人グランプリ 最優秀新人賞、1997年にはNHK上方漫才コンテスト 最優秀賞など受賞歴が多く、お笑いの師匠たちに才能を認められた輝かしい経歴がある。
ハリガネロックの傑作漫才
2001年に第1回 M-1グランプリで準優勝、2002年4月には第4回 爆笑オンエアバトルチャンピオン大会で優勝、同年2002年 第2回 M-1グランプリでファイナリストに進むなど順調に進化を続けていた。
漫才よりもピンでの活動が強くなってきたハリガネロック
しかし、第2回 M-1グランプリの直後からハリガネロックとしての露出は控えめになり、THE MANZAIでも2回戦敗退という苦汁を飲まされることになってしまう。
その後にコンビとしては不遇の状態が続いていた。
ピンでの活動としては、ユウキロックは映画「浪商のヤマモトじゃ!」に初出演や、「Tポイント芸人」と称し、ファミリーマートのPB商品で1ヵ月生活するという企画に挑戦、そのほかにも「家電芸人」など精力的に活動。
大上 邦博も戦隊モノ好きがこうじて芸人仲間とトークライブをするなど活動。また、絵本の読み聞かせの活動など「パパ芸人」としての活動を行っていた。
東京では雛壇で下品、押しが強い、ヘタレ、バカが出来ないと売れない?
大阪時代から漫才の実力の高さを評価されていたハリガネロック。
しかし、大阪から東京進出したことで、ふたりがもつ漫才の良さが生かされなくなってしまったのではというファンの声がある。
東京では漫才よりもバラエティ番組でのいわゆる「ひな壇」の活躍や、トークができないと難しいことや、先輩芸人からの引っ張りなどが無く吉本からも押される存在では無かったことなど、彼らは「不遇」の道を辿っていったという。(先輩からの引っ張りがなかったことに関しては、ハリガネロックが悪口をよく言うタイプだったから、という説もある)
大阪時代からのファンによると、漫才の技術は高いけど、彼らは決してブレイクするタイプでは無かったと感じたという。
息長く漫才師として舞台へ立ち続けてほしい、という思いはあったが、残念ながら解散という結末に至った。
今後はピンでの活動となるが、解散後もどこかで漫才を見せてくれることを期待したい。
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