開幕節から言うより「南無阿弥陀仏」にあたるものを言う
「お前はイスラム教徒か―」
バングラディシュでテロの実行犯が日本人に投げかけた質問だ。
「違います」と答えたら殺害され、「そうです」と答えたら、容赦無い質問が飛んで来る。
彼らが要求したのはコーランの一節の暗誦だった。
できなければ処刑―。
残虐極まりなく、おぞましいとしか言いようがない。
世界中で過激なイスラム教徒によるテロが起こり、殺害の標的とされているわれわれ日本人がすべきことは何か。
それは、コーランを理解しようとする心を持つということだ。
今回は、テロリストにコーランの暗誦を迫られた際に最低限かつ最大の効果がある2フレーズを、専門家の解説とともに紹介する。
大事なのは「信仰告白」部分
現代イスラム研究センター理事長の宮田律氏によると、コーランそのものはとても長いものであり、その中から適当に言葉を抜き出して唱えるのは危険だということだ。
何故かというと、今回のような若者ばかりの犯行グループであった場合、長いコーランを完全に覚えていないことも多く、途中の一節を言ったところですぐに理解できるとは考えにくいからだという。
彼らが要求したのは、コーランの「信仰告白」にあたる部分ではないかと宮田氏はいう。
ラーイラーハ イッラッラー、ムハンマド ラスールッラー
この信仰告白部分というのは非常にシンプルなフレーズで、信仰の基本の言葉だという。
仏教にたとえると、“南無阿弥陀仏”にあたるものだ。
信仰告白は、アラビア語で次のような2フレーズの発音になる。
日本語で“アッラーの他に神はなし、ムハンマドはその使徒である”という意味。
もちろん、信仰告白が言えたからといって、相手にイスラム教徒だと思ってもらえるとは限らないだろう。
しかし、イスラムに親近感を持っていることは伝えられるだろう。
実際に、イスラム教の聖地であっても、入り口でこの一節を言うと入れてくれることもあるという。
今回の事件が起きたバングラディシュではベンガル語が使用されるが、基本的な礼拝はアラビア語なので、この発音で通じるという。
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たとえ虚偽であっても、まずはその言葉を受け入れ、命の保証をする
“信仰告白”部分の暗誦が何よりも大きな効果を持つ理由として、イスラム教が口で表現する行為によって信仰を宣言するということに由来している。
“神”は人間の心の中もすべてお見通しだが、人間は相手が心に何を抱いているかわからない。
そこで、とりあえずは口で表現したものを本心として受け止めるほかないという考え方を持っている。
たとえ、それが虚偽の信仰告白であることが明白であっても、ムスリムはその言葉をとりあえず受け入れる。
そしてその言葉を口にした者をムスリムとして認め、たとえそれが命惜しさに言われたものであっても、ムスリムとして命と財産と名誉の権利は保証しなければならないという考えであるため、命の危険が及んだ時には有効な手段となりうるのだ。
イスラム教に対する正しい理解
いかがだったろうか。
“ラーイラーハ イッラッラー、ムハンマド ラスールッラー”
アッラーの他に神はなし、ムハンマドはその使徒である。
クリスマスの一週間後に初詣に行く日本人にとって、この言葉を言うことは、正直何でもないかもしれない。
しかしながら、特定の宗教を信仰する世界の人の立場で考えた場合、この言葉がどれほど重く、重大なものであるかを理解できるだろう。
ただ単純に、覚えればいいやということではなく、これを機会に、イスラム教とはなんだろう、と理解を深めていく。
それが日本に住むムスリムの人たちへの配慮でもあり、日本人が持つ思いやりの精神ではないだろうか。
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