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『花子とアン』葉山蓮子のモデル・柳原白蓮―“恋多き悪女”と呼ばれた美人歌人

『花子とアン』葉山蓮子のモデル・柳原白蓮―“恋多き悪女”と呼ばれた美人歌人

柳原白蓮は“恋多き悪女”だった!?
NHKの朝ドラ『花子とアン』が大好調だ。週間平均視聴率18週連続で20%を超えている。

『赤毛のアン』の翻訳者である村岡花子の生涯をモチーフにしたドラマがここまで支持を受けている理由は、吉高由里子が演じる主人公、安東はなもさることながら、仲間由紀恵が演じる、はなの元同級生、葉山蓮子の魅力に依るところが大きい。

今回は、大正時代の一流婦人誌記事で「あさましい」とバッシングされるなど、“恋多き悪女”として戦前で知らぬ人はいないとされた柳原白蓮にクローズアップする。

「大正三大美人」に数えられた柳原白蓮

仲間由紀恵が演じる、葉山蓮子のモデルは、大正から昭和にかけて活躍した歌人・柳原白蓮だ。

仲間由紀恵 葉山蓮子
柳原白蓮の本名は柳原燁子(あきこ)。「柳原白蓮」は短歌など作品を発表する時に使っていた雅号だ。

白蓮は華族に生まれ、「大正三美人」の一人と謳われた。そして彼女の人生は波瀾万丈だった。

1894年(明治27年)、9歳で北小路家に養女に出され、14歳で北小路家の息子と結婚して1児をもうけるも、扱いの悪さにたまりかねて家を飛び出し、最初の離婚をしている。

そして、念願の東洋英和女学校に入学、ここで花子と出会い、親友となる。

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九州の炭鉱王、伊藤伝右衛門と結婚

東洋英和女学校を卒業後、白蓮は25歳で、今度は当時50歳の九州の炭鉱王、伊藤伝右衛門と望まぬ結婚をすることになる。

伊藤伝右衛門
伊藤伝右衛門

この愛のない結婚を受け入れられなかった花子は、白蓮に絶交を宣言。披露宴にも花子が出席することはなかったという。

また、結納金が2万円(現在の約6000万円)と高額だったため、東京朝日新聞が『身分卑しき炭掘り男と伯爵令嬢が結婚する。そこに大金が動いた』と書き立てるほど、この結婚は大いにマスコミと世間をにぎわせた。

さらに伊藤伝右衛門には何人もの妾がおり、これに白蓮は話が違うと荒れてしまう。

そんな白蓮をなだめるべく、伝右衛門は白蓮が欲しいものを何でも買い与えていたが、白蓮は全く取り付く島もなく、伝右衛門を呪うような歌まで詠んでいる。彼との性行為も拒み続けていたという。

白蓮はこうした結婚生活を送る中での苦悩や生きる孤独を短歌として吐き出すようになる。

やがて福岡社交界や歌壇界で多くの人々と交流する事となり、幅広く活躍するようになっていく。

宮崎龍介と恋の逃避行・通称“白蓮事件”

35歳になった白蓮は東京帝国大の学生だった8歳下の宮崎龍介と恋に落ち、駆け落ちする。

大阪朝日新聞に伝右衛門の不実を訴える絶縁状を”投稿”して。

これが通称“白蓮事件”と呼ばれているものだ。

当時は大正デモクラシーの真っ最中だったため、自由を求めた不倫も多かったという。

なかでも白蓮と龍介はビッグカップルのため、連日メディアに報じられた。

ドラマ「花子とアン」では、白蓮は「身分社会の大正時代に愛に生きた女性」として肯定的に描かれているが、当時の世論はそんなに甘くはなかったようだ。

巨額の結納金を受け取りながら駆け落ちは身勝手すぎる―止まらない白蓮バッシング

大正11(1922)年4月に、一流婦人誌『婦人画報』に白蓮か龍介の知り合いが書いたと思われる「公開状」が掲載された。

人の噂も七十五日といふ諺がありますが、あなた方の問題は百二十日を過ぎた今日に至つてもなほ解決を見ないで未だに新聞の社会欄を賑はしてゐるのは一体どうしたといふことでせう。/あれほどまでに世間を騒がして置いて、自分等の跡仕末が出来ないとは何と云ふ醜態でせう。

この文章には、白蓮への憎悪がにじみ出ている。

当時、夫のある女性が別の男性と通じることは姦通罪という犯罪だった。

伊藤伝右衛門は白蓮との離婚を認めたため、罪に問われなかったものの、『結納金として大金を受け取っていながら駆け落ちとは身勝手すぎる』という意見は当時多かったのである。

中には白蓮を擁護する意見もあったが実は少数派。『狂気の沙汰だ』とまで批判するメディアもあったくらいで、白蓮は”恋多き悪女”だと、多くの人々に断罪されていた事実が浮かび上がってくるのだ。

前出の公開状は、こう続いている。

家庭生活に於けるヒステリカルなわが儘と、そして不生産的にして無自覚な行動は私は之を寛容する気にはなれません。殊に夫を呪ふやうな歌をよんで、而もその歌集を出版するために特別に夫から金を引き出すといふやうなやり方は、如何に弁解しようとも憎むべき罪悪でなければならないと思ひます。/夫より受くる月に五百円の金は何に費消されたでせうか。

近代文学研究者の井上洋子氏は、戦前生まれの人はみな、白蓮のことを知っているが、まさか平成の時代に白蓮ブームが来るとは思わなかったという。

大正時代に、これほどドラマチックな人生を送った女性がいたということが驚きであり、新鮮だったのだ。

『花子とアン』で描かれるのは白蓮の一面に過ぎない。彼女の実像を知れば、ドラマ『花子とアン』をより深く楽しめるだろう。

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