氷上の貴公子こと、高橋大輔(27)。
端正なルックスと相まって、一見すると苦労知らずなエリートと思われるかもしれないが、現実の彼は順風満帆とは言えない人生を歩んできたのだ。
ソチ五輪日本代表・高橋大輔涙のスピーチ
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少年時代の大輔は、経済的には恵まれてはいなかった。
彼は岡山・倉敷市で4人兄弟の末っ子として生まれ、父親は大工、母は理容師。築30年を超える家賃3万円の借家暮らし。
4人の子育ては楽なものではなかったが、両親は共働きでやりくりしていたという。
3人の兄たちはそろって少林寺拳法の教室に通っていたが、大輔は格闘技に馴染(なじ)めず、野球やサッカーなどの球技にもまるで興味を示さなかったという。
小学校時代の同級生「優しすぎる性格でした」
小学校の同級生によれば、「優しすぎる性格でしたね。学校ではいじめっ子のターゲットになって、物を隠されたり、しょっちゅう泣いていました」 という。
ひ弱な幼少時代を過ごしていた大輔。しかし転機が訪れる。
小学2年の時に自宅の近くにスケートリンクが完成し、彼はそこで初めてフィギュアスケートと出会ったのだ。
そのリンクで大輔を指導したのが『倉敷フィギュアスケーティングクラブ』の代表でコーチだった佐々木美行(みゆき)さん(56)。
佐々木さんによれば、リンクがオープンしてスケート教室が設けられ、生徒は子供と大人合わせてわずか10人。その第1期生の中にいたのが大輔だったという。
転びながらも、それでも毎日通ってきていたのだという。きっとスケートが彼に合っていたと思ったそう。
当初は才能を特別に感じることはなかったのだが、とにかく素直で練習熱心。
一日中でも氷の上に乗っているのが楽しくてたまらないという笑顔が懐かしかったという。
夢中になれるものを見つけた大輔だったが、フィギュアスケートにはお金がかかった。
衣装、リンク代、遠征費……選手の出費は月30万円を超えることもある。それでも家族は大輔の夢のために身を削ることを惜しまなかった。
大輔にスケートをさせるために必死で支えた父と母
かつて新聞のインタビューで大輔の母はこんなエピソードを明かしている。
大輔がスケートを始めて間もない頃、世界選手権のエキシビションが広島で行われたときのこと。
観戦チケット代は1万円。当時の高橋家にとっては大金だった。
だが、母は無理をして費用を捻出し、大輔を送り出したという。
そして息子は「お母さん、よかった!」と大感動で帰ってきたという。
このとき母は「どんな苦労をしてでもスケートをさせる」と誓ったのだという。
母は昼は理容室で働き、夜は弁当屋でアルバイト。父も仕事を求めて、遠くの工事現場に通っていた。
大会で着る衣装はお母さんが試合のたびに手作り。靴もお父さんがエッジを砥石で研いでいたという。
一家の食費も一日1000円程度に抑えていたが、兄たちも弟のために誰も文句を言わなかった。
世界ジュニア選手権で優勝するまで、競技用シューズは1足だけだった
高橋大輔は15歳で、世界ジュニア選手権で優勝する直前まで、持っている競技用シューズは1足だけだった。
試合の衣装も母や周囲の人によって縫われたもの。
2006年のトリノ五輪出場当時には、母親が働く理容店に大輔のための募金箱が置かれていたと話題になったが、そこまで息子に尽くしながらも、大輔の母親はめったに試合会場へ足を運ばないし、メディアにも出てこない。
トリノも、銅メダルを獲った2010年のバンクーバー五輪でさえも大輔の家族は日本に残って応援していた。
でしゃばることなく息子を遠くから見守っている、高橋大輔の母・清登(きよと)さん(63)は現在も倉敷市内の理容店で働いている。
高橋大輔の母・清登(きよと)さんによれば、店に募金箱があったことはオーバーで、床屋の客が大輔がスケートをしていてお金がかかるのを知っていて、釣銭を『大輔に』といって置いていったのを箱に入れて貯めていたのが事実なのだとか。
当時は相当苦労したのでは?という問いには、床屋が終わってから弁当屋さんで働いたが、大輔のためだからそんなことを苦労だとは思ってもいなかったという。
穏やかに話をする清登さん。その人柄がいまの大輔を形作ったのだろう。
記者「大輔の良いところは、あれだけの選手なのにちっとも偉ぶらないこと」
大輔は、小塚崇彦や無良崇人(むらたかひと)といった後輩選手がへこんでいる時に、大輔から『俺もそういうことあるよ』と声をかけたり、取材にも一所懸命、”使える言葉”を考えてくれたりと、あれだけの選手なのにもちっとも偉ぶらないところがフィギュア界で慕われている理由だという。
2013年末の全日本選手権では5位という不本意な結果に終わったが、現在、高橋大輔はソチに向け、2013年11月に故障した右足を完治させるべく、日々闘っている。
だが、スケート連盟の関係者によると、2008年10月、大輔は練習中に右膝前十字靭帯断裂と内側半月板損傷の大怪我をした。
これは現役引退となってもまったくおかしくない重傷にも関わらず、4カ月以上の厳しいリハビリに耐えて、リンクに戻ってきた。
そしてバンクーバーで日本に銅メダルをもたらした。ソチでもそんな奇跡が見られる気がするのだとか。
「生んでくれて、育ててくれてありがとう」
母・清登さんが大切にしているものがあるという。
それは、2008年、高橋大輔が母の日に初めてプレゼントしてくれた財布だ。
その中には「生んでくれて、育ててくれてありがとう」と書かれた紙が入っていたのだという。
いまも岡山から息子を支え続ける母のため、支えてくれた周囲のために、彼はソチで最高の滑りを見せてくれるに違いないだろう。
Daisuke Takahashi – 2013 Medalist on Ice EX
なぜか応援したくなる人物、それが高橋大輔。この記事で!はっきりと理由がわかった。
お母さんもお父さんも素晴らしいです、、。自分も、最近一児の親になりましたが、子どもの嬉しそうな顔をみるのが親の喜びですね。
メダルなんて、どうでもいいじゃないか。とれるにこしたことはないけど、多くの人に感動と生きる希望わー与えてくれた。それが、一番すごいことだと思う。感動をありがとう、大輔!
大輔さんの素晴らしさを知ったのは、大輔さんに首ったけの姉がきっかけでした。
姉に不幸な出来事が連続して起こっている時に、姉の為にと大輔さんの姿を追っているうちに
その人間的な温かさ、素晴らしさ、スケートの魅力にすっかりはまってしまったのでした♡♡♡
膝の苦しさ、辛さ…私には痛いほどわかります。リハビリ大変だったでしょう…
それを乗り越えた大輔さんを、ただただ尊敬します。
そして、ソチオリンピックではお疲れ様でした。
真央ちゃんと同じく、メダル以上の感動を与えて下さってありがとうございました。
引退が騒がれていますが、本当はもっともっと滑っておられる姿が見たい…そんな思いで一杯で
大輔さんの姿が見られなくなったらと思うとそれだけで胸が痛みます。
どの道を進まれるにしても、私達に姿を見せていただける道を選んでいただけると信じています。
どうかどうか、いつまでも素敵な大ちゃんでいて下さいね。
ずっと応援しています!
高橋選手お疲れさまでした!
今日引退会見を迎えられ、新たな高橋大輔の始まりですね。まだまだ人生の一部!これからも高橋大輔の真っ直ぐな瞳がご両親ご家族、沢山のファンの励みになりますので様々な場所で頑張って下さい!一時はご両親と過ごせるといいですね。これからも応援しています。