国民的バラエティー32年の歴史を一挙ご紹介!
1982年の放送開始以来、32年間にわたってお茶の間を楽しませ続けてきた「笑っていいとも!」がついに終幕を迎える。
司会を務める森田一義ことタモリの軽妙にして深い、圧倒的存在感。
お笑い芸人からアイドル、文化人まで。各界の旬なレギュラー陣の豪華な顔ぶれ。
「見てくれるかな?」「―いいとも!」という客席とのやり取りに象徴される生放送のライブ感。
老若男女にとっての日常の風景でありながら常に時代をリードする存在でもあったこの番組の残した功績は大きい。
「笑っていいとも!」が終わることは、日本のテレビ史において重大な転換点となることは間違いないだろう。
2014年3月31日のグランドフィナーレを目前に控えた今、「笑っていいとも」の歴史をプレイバックしたい。
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1982年→1990年
密室芸人だったタモリが日本のお昼の顔に!
1982年にうぶ声を上げた「笑っていいとも!」。司会はそれまでマニアックな密室芸人としての印象が強かったタモリだ。「最初は3ヶ月で終わると思っていた」本人の思惑とは裏腹に、芸能人が電話で友達を繋いでいくゲストコーナー「テレフォンショッキング」が人気爆発する。タモリこと森田一義はまたたく間に日本全国の“お昼の顔”となったのだ。
1982年
10月4日
「森田一義アワー 笑っていいとも!」がスタート。「テレフォンショッキング」のゲストは桜田淳子。
10月24日
「笑っていいとも! 増刊号」が放送開始。
12月27日
年末恒例の「笑っていいとも! 特大号」が放送開始。
1983年
2月
ハプニング!
生本番中に突如ビートたけしが乱入。たけしと犬猿の仲だった当時のレギュラーに襲いかかかるという暴挙に出た。観客は大喜びだったが、マスコミから叩かれるなど話題になった。
4月5日
当時日本テレビに在籍していた小林完吾、徳光和夫両アナウンサーが、局の垣根を超えて出演。
6月21日
いいとも青年隊(羽賀研二・久保田篤・野々村真)がEP「恋の爆弾ストリート」で歌手デビュー
10月
所ジョージがレギュラーになる。「―頭悪いんじゃないの?」などのコーナーを担当し話題になる。所ジョージは1990年3月に卒業。
1984年
2月
ハプニング!
タモリが「嫌い」と公言していた小田和正が「テレフォンショッキング」に出演。
タモリから「レコードをお作りになられているそうで」と振られても「きっと気に入らないと思います」と小田に返され、トークは最後まで噛み合わなかった。
3月14日
ハプニング!
「テレフォンショッキング」に黒柳徹子が登場。43分間延々しゃべり続けて以降のコーナーを飛ばす
4月
新レギュラーに明石家さんまが登場(1995年9月卒業)。「なるほど・だ・ニッポン」コーナーがスタート。オスマン・サンコンら外国人タレントが人気を博す
ハプニング!
ゲストの泰葉による間違い電話がきっかけで、3日間に渡って「テレフォンショッキング」に一般人が出演する事態に。
タモリが面白がって「あした来てくれるかな?」と振ると、女性が「いいとも!」と答え、翌日スタジオに登場。以降3日間にわたり一般人が出演した。
6月22日
ハプニング!
「テレフォンショッキング」に作家の有吉佐和子が登場。黒柳徹子に続いて番組ジャックを記録する。次のコーナーに出演するはずだった明石家さんま(58才)がたまらず飛び出してきて「早くどけ」とケンカになる場面もあった。
8月21日
テレフォンゲストの女優・中野良子が、翌日が誕生日だというのにタモリにキスをプレゼントする。
9月4日
500回目の放送。テレフォンショッキングゲストの三波春夫が「友達の輪」のフレーズに曲をつけて熱唱!
10月
古舘伊知郎がレギュラーに。「激突!たべるマッチ」コーナーを担当する。(1987年9月に卒業)
1985年
1月
ビートたけしがまたもや本番中に乱入。タモリ欠席のため代理で司会をしていた明石家さんまを驚かせる
10月
関根勤がレギュラーになる。以降、現在に至るまで出演し続け、出演期間最長のメンバーに。
1986年
8月14日
1000回目の放送を記録。テレフォンショッキングゲストは寺泉憲だった。
9月5日
ハプニング!
オープニングでタモリより先にビートたけしが登場し勝手に踊る。(タモリはおろかスタッフも聞いていなかった)
1987年
4月
笑福亭鶴瓶がレギュラーになる。
10月
新レギュラーに野沢直子(1991年3月卒業)、清水ミチコ(1992年9月卒業)など。
1988年
7月21日
1500回目の放送を記録。テレフォンショッキングゲストは山村美智子(現在は山村美智)
12月
「テレフォンショッキング」に出演予定だった朝丘雪路が大雪で飛行機が遅れたために出演できず
1989年
4月
ウッチャンナンチャンがレギュラーに抜擢(1994年3月卒業)。また、ダウンタウンもレギュラーに(1993年3月卒業)。
1990年
1月4日・5日
ハワイから生放送。海外からの放送は初めて。ゲストには研ナオコと山田邦子ほか。
4月2日
エンディング企画「爆笑!オールスター・タモリンピック」がスタート(1993年10月まで継続)
7月9日
放送2000回を突破する。前日の放送ではタモリの銅像の除幕式が行われる。
10月
そのまんま東(現・東国原英夫)がレギュラーになる(1992年9月卒業)。
12月24日
「クリスマスイブ特大号」で「いいとも!ものまね歌合戦」がスタート。以後、「特大号」の名物企画になる。
1991年→2000年
芸人からアイドルまでスターを輩出
1980年代後半からウッチャンナンチャン、ダウンタウンらお笑い界の新星が続々とレギュラー入りする「笑っていいとも!」。1990年代になると“スターの登竜門”的な色合いを強めていく。なかでも話題になったのはSMAPの中居正広、香取慎吾、草彅剛の加入だ。男性アイドルがレギュラー出演することは当時まだ珍しかった。
1991年
4月
新レギュラーに森脇健児(1996年9月卒業)、ルー大柴(1992年9月卒業)らが抜擢。
8月
人気コーナー「タモリ・ウッチャンナンチャンの世紀末クイズ“それ絶対やってみよう”」が書籍化しベストセラーになる。
1992年
2月
ハプニング!
テレフォンショッキングで桑野信義から電話を受けた志村けんが、「明日ゴルフなんで…」と出演を拒否。
タモリが「そこを何とか…」と食い下がるも「明日天気いいもんで…失礼しま~す」と電話を切ってしまうハプニングが発生した。
2月
ハプニング!
「朝7時まで飲んでました」という、その日の朝まで飲んでいたタモリが二日酔いで番組に出演。ゲストの喜多郎とのトークもヘロヘロに。視聴者参加コーナーでは出場者の幼児に「俺は子供が嫌いなんだ!」と絡んだり終始ムチャクチャだった。
6月23日
2500回目の放送。テレフォンショッキングはリンドバーグ。
10月
新レギュラーにヒロミ(1998年3月卒業)、志茂田景樹(1994年3月卒業)が登場。
1993年
2月
ハプニング!
「テレフォンショッキング」のゲストのせんだみつおが、いいとも!の裏番組のTBS系番組「素敵な気分De!」の司会真っ最中の大島智子に電話。共演者の伊集院光を交え、局をまたいでトークを展開。
4月
新レギュラーに久本雅美(2010年9月卒業)、篠原涼子(1993年9月卒業)らが決定。
1994年
4月
中居正広、香取慎吾がレギュラーになる
6月2日
3000回目の放送。タモリ金像除幕式が行われる。テレフォンショッキングゲストは渡辺正行・
12月
タモリが念願の一級小型船舶免許の学科試験を受けるために休演。
1995年
1月
タモリが今度は一級小型船舶免許の実技試験を受けるために休演。その後、見事合格した。
2月
世界的名優、ロバート・デ・ニーロがゲスト出演。
10月
新レギュラーに東野幸治(2002年9月卒業)、ナインティナイン(1997年3月卒業)、草彅剛らが決定。
10月2日
エンディング企画「曜日対抗いいとも!選手権」スタート(2010年7月まで継続)
1996年
5月20日
3500回目の放送。テレフォンショッキングゲストは今井美樹
1997年
3月
ハプニング!
ダウンタウンら「ごっつええ感じ」(1991~1997年)の出演者が深夜のスタジオアルタに潜入。いいとも出演者に内緒で、こっそり翌日の「いいとも!」のセット建込みに挑戦。こっそり柱の上にポットを置くいたずらを敢行した。
4月
新レギュラーにココリコ(2006年9月卒業)、猿岩石(1998年9月卒業)が抜擢。
10月
山田花子がレギュラーになる(2002年3月卒業)、片桐はいりが寝坊のためテレフォンショッキングに遅刻。到着したのは番組終了の2分前。
11月
プロゴルファーのタイガー・ウッズが初来日。いいともに出演した。
12月
テレフォンショッキングゲストの大竹しのぶが「友達じゃなくて知り合い」として明石家さんまを紹介。
1998年
4月
新レギュラーに橋田壽賀子(2001年9月卒業)ら決定。
5月11日
4000回目の放送。テレフォンショッキングゲストは周防正行・草刈民代夫妻
1999年
10月
新レギュラーに藤井隆(2004年9月卒業)、ガレッジセール(2009年9月卒業)らが決定
2000年
3月
オープニング演出が変更。番組冒頭、タモリが「ウキウキウォッチング」を歌わなくなる。
4月
新レギュラーに爆笑問題、安達祐実(2001年9月卒業)らが決定。
4500回目の放送。テレフォンショッキングゲストはシャ乱Qはたけ。
10月
ピーコがレギュラーに(2011年3月卒業)、志村けんがテレフォンショッキング初出演
2001年→2014年
8000回を超えても新たな驚きがある「いいとも」
2000年代、2010年代と、着実に放送回数を重ねる「笑っていいとも!」。放送8000回ではとんねるずが新レギュラーに決定。今なお新鮮で驚きに満ちた笑いを全国のお茶の間に届けている。記録にも記憶にも残る番組という称号がふさわしい番組といえる。
2001年
7月
ハプニング!
江頭2:50が橋田壽賀子に「お前が昔から好きだった!」と熱いキスをして番組出入り禁止処分を食らう(2014年3月に解除)
コーナーゲストとして江頭2:50が出演した際、当時レギュラーだった橋田壽賀子に“トルコ事件”(1997年、江頭は番組のロケでトルコに行き公衆の門前で裸になり逮捕された)を蒸し返されて、カッとなり、橋田壽賀子に熱いキスをお見舞いした。
2002年
4月5日
放送5000回を記録。タモリが「生放送単独司会世界記録」としてギネスブックに認定。
2003年
1月15日
ギネス認定を受けて、当時首相の小泉純一郎氏が生電話出演。タモリへ直接お祝いの言葉が送られる。
2004年
3月22日
5500回目の放送。テレフォンショッキングゲストは、りょう
7月25日
「増刊号生SP」にて、タモリがテレフォンショッキングの“ゲスト”として登場。司会は岡村隆史が担当した。
2005年
5月
「いいとも!」が「スター千一夜」の22年6ヶ月の記録を更新し、フジテレビ史上最長寿番組になる
9月21日
テレフォンショッキングに出演していた山崎邦正(現・月亭方正)が突如「じゃあ質問コーナー!」と観客に無茶ぶりし、観客の1人が大声で「番組が終了するって本当ですか?」と質問し、スタッフに退席させられた。CM明け、彼の座っていた席には熊のぬいぐるみが置かれた。
2006年
3月7日
放送6000回目を記録。6000と刻印されたメロンパンが出演者と観客の全員に配られる。
2007年
11月
「新宿のイメージアップに貢献した」として中山弘子新宿区長(当時)からタモリに感謝状が贈られる
2008年
2月20日
6500回目の放送。テレフォンショッキングゲストは小林薫。
11月
TBSの安住紳一郎が他局のアナウンサーとしては25年ぶりにテレフォンショッキングに出演。
2009年
11月
ニューヨークでの舞台公演のために欠席した香取慎吾の代役として稲垣吾郎、木村拓哉が出演。
2010年
1月
前日のテレフォンショッキングのゲスト、佐藤隆太が特別にテレフォンアナウンサーを担当。
2月4日
放送7000回を記録。オープニングでは特別企画として第一回の放送を振り返った。
2011年
10月
ジャニーズJr.の真田佑馬&野澤祐樹による「noon boyz」が第16代アシスタントに
2012年
1月
千原ジュニアが飛行機の遅れで帰国が間に合わず、代役で兄の千原せいじが出演。
4月9日
「テレフォンショッキング」の“お友達紹介システム”が終了。最後のお友達ゲストは高嶋ちさ子だった。
7月21日・22日
「FNS27時間テレビ 笑っていいとも!真夏の超団結特大号!!」放送
11月30日
明石家さんまがゲスト出演。名物コーナー「タモリ・さんまの日本一の最低男」が17年ぶりに復活した
2013年
2月26日
7777回を記念して、松嶋菜々子がテレフォンショッキングゲストとして登場。
4月
「オネメンコンテスト」コーナーで人気のオネエ系イケメン5人によるユニット「ONEP」誕生
10月22日
突然アルタに登場した笑福亭鶴瓶に問われる形で、タモリが2014年3月で番組が終了することを発表。
2014年
1月14日
8000回スペシャル。とんねるずが29年ぶりにテレフォンショッキングに登場。タモリに直談判してレギュラーに。
2月14日
萩本欽一がテレフォンショッキング初登場。タモリと初めてのツーショットトークを展開。
2月19日
テレフォンショッキングゲストはナインティナイン。とんねるず同様、岡村隆史が自ら志願してレギュラーに。
3月31日
「笑っていいとも!グランドフィナーレ特大号」放送予定。
8054回、32年の歴史に幕
8054回目の放送となる2014年3月31日(月)でグランドフィナーレを迎える「笑っていいとも!」。
正午からは通常放送を、当日夜には現在のレギュラー40名に加えて、歴代の出演者陣、豪華ゲストも登場する生放送が行われる。
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