林葉直子は重度の肝硬変とどう向き合っているか
稀代の女性棋士として登場し、小説家やタレントへの転身、不倫騒動や整形、豊胸手術、ヘアヌード。
華やかなスキャンダルで常に世間を騒がせてきた林葉直子が辿り着いた今の姿。
“治る見込みの無い”重度の肝硬変を患い、死を間近に感じながらも生き続ける彼女の新たな決意に迫った。
2014年2月21目、テレビのワイドショーに出演し、重度の肝硬変であることをカミングアウトした林葉直子。
こけた頬、腹水で膨れ上がったお腹、やせ細ってしまった手足と、画面に映し出されたその姿には、多くの人々が驚樗した。
38キロまで痩せた
林葉さんは、今は太ったほうだけど38キロまで減ったときはもっとひどかった。ホントにガイコツ女でしたからと笑う。
「今は48キロになり、やっと見られるようになったと思ってテレビに出たんですが、それでもみんなを驚かせてしまったようですね、本当にすみません!」
林葉さんは意外にも明るい声で語り、よく笑う。皆の心配をよそに、一人暮らしをして、愛鳥の世話をしているので本人は結構元気なのだという。
そんな林葉さんだが、日々の生活は、多少は大変なこともあるそうだ。
朝はこむら返りで痛タタタと叫びながら起きるのが日課。食事をすれば歯茎から出血。あと、皮膚が薄くなっているので、少し歩いただけで足の皮がズルッと剥ける。
しかし、林葉さんは「病人だからそんなものですよ」と割り切る。
壮絶な日常でも「慣れてしまえばやっていける」とカラッと言い切ってしまう。
棋士時代から攻めの将棋を信条とし、数々のスキャンダルも乗り越えてきた林葉直子。
たとえ肝硬変であっても恐るるに足らずなのかもしれないということか。
いつ死んでもおかしくないから本を書いておこうと決めた
しかし本人曰く、「そんなことはない」という。
いつ死んでもおかしくない状態なのだから、本を書いておこうと決めたのだという。
その本とは『遺言―最後の食卓』(中央公論新社刊)。
衝撃的なタイトルのために、本が出たあと、母には“このタイトルはなに!?今から変えなさい”とか、“親族の悪口書いとらんやろうね”とか怒られてしまったそうだ。
とはいえ、本の中には互いに気遣う母娘の姿が描写されている。
「あんたまたやせとう?」と問う母に「やせとらんよ」とウソをつく娘。
それを聞いて「あんた、腐って死んだらいかんよ…」と娘の身体をさする母。
そんな母娘の交流はホロリとさせられるのだ。
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完治しない病気ならば最後まで好きなことをする
林葉さんいわく、ホロリばかりじゃなく、親子ゲンカもするし、仲直りもする普通の生活だという。
しかし、林葉さんはこういう当たり前の生活がしたかったのだとか。
林葉さんのように治らない病気の病人は、入院していれば、それでいいわけではないのだと考えたという。
完治しない病気ならば、病院に縛りつけられるよりは、好きなことを最後の瞬間までやるほうがいいんじゃないか?と思い、実践し、本に書いて遺したいと思ったのだという。
将棋連盟退会、不倫騒動のあたりから酒量が増えた
もともとお酒は好きだったという林葉さんだが、約20年前、将棋連盟を退会して、不倫騒動のあたりから酒量が増えたそう。
なんと多いときには1日1本、ウイスキーを空けていたという。
「それがたたっての、このありさまですからね。それはちょっと反省していますね(笑い)」
父が亡くなって発覚した多額の借金
豊胸手術、へアヌード披露、飲食店経営、タロット占い師への転身。お騒がせタレントとして世間に認知され始めたころ、林葉さんを突然の不幸が襲う。
父が亡くなり、1億2000万円の借金が発覚したのだ。
名義は林葉直子になっていた。自己破産して、実家を差し押さえられてしまう。
林葉さんは、お金がないので毎日、コンビニ弁当を食べていたという。
おまけに、当時付き合ってた外国人の彼氏が酒乱&DV。その憂さを晴らすために、またお酒の量が増えてしまったそうだ。
ひどい食生活とお酒のせいでまたたく間に肝炎になってしまったという。
でもなんとかやっていけたという林葉さん。しかし、本当に具合が悪くなって入院することに。そこで告知されたのが、治る見込みのない重度の肝硬変だった。
重度の肝硬変は治る見込みが無い
林葉さんと公私ともに交流のある高須クリニックの高須克弥院長によると、肝臓はある程度のステージまでいくと回復しないのだという。
だから、林葉さんは、なるべく肝臓にダメージを与えないようにして保たせるしかないのだという。
チャンスがあれば肝臓移植が一番なのだという。
ホントはもっと近くだったら、いろんなことができたと高須院長は思っているが、林葉さんはいま九州在住。
高須先生の病院までは遠いから移動するだけでも身体に負担がかかるため、現実的に無理。そこが悔しいのだとか。
林葉さんも高須先生の気持ちは十分に感じている。しかし甘えるわけにはいかないという。
林葉直子「高須クリニックのイメージキャラクターだから、高須先生の病院で死んだら迷惑がかかる」
林葉さんが高須先生の病院に行かないのは、林葉さん自身のプライドもある。
それは、「高須先生の病院で死んだら迷惑がかかる」というものだ。
だからお気持ちだけで十分なのだという。
高須クリニックは未だに林葉さんにギャラを払っている
高須先生は、いまだに林葉さんにギャラを払っているという。
「林業さんは今でも高須クリニックのイメージキャラクターだから」と言ってくれているそうだ。
「自分は多くの人に支えられて生きている。」今回、テレビに出たことでも、それを痛感したという。
棋士もやったしカレー店も占い師も豊胸もやった。やりたいことはみんなやった
テレビ出演で多くの人たちから連絡があったという林葉さん。
親友は泣きながら電話してきてくれたし、ブログにも応援メッセージがいっぱい届いた。
でも、林葉さんはいま決して不幸でも、やり残したことがあるわけでもないのだという。
棋士もやったしカレー店も占い師も豊胸もやった。やりたいことはみんなやってきたから、人生に全然悔いはないのだそうだ。
肝臓移植は「しない」
一方、ブログのコメント欄には、林葉さんの生命を危惧して「肝臓移植を受けてください」というメッセージが多く寄せられている。
それについては、林葉さんは「移植は考えられない」と首を横に振る。
「私は十分にこの身体で人生を楽しんできたので、最後もこれと一緒でいい」と思っているという。
さらに肝臓だけでなく、血管やほかの臓器もアルコールで傷んでいるんで、移植自体、無理なのだそうだ。
棋士の時から粘り勝ちタイプ。最後まで「投了」はしない
林葉さんは棋士のときから粘り勝ちしてきたタイプだと前置きした上で、「最後まで投了なんてしませんよ」と決意をしている。
女流のタイトルを欲しいままにしていたころのように、最後の最後に逆転勝ち。ファンはそうなることを心から望んでいるのである。
「将棋の世界には鬼手というものがあって、常識はずれのとんでもない一手のこと。それを探して最後まで生き按きます。それが私の生きる棋風ですから」
林葉直子は、今日も鬼手を探し続ける。
林葉直子のこれまで
1968年 | 福岡県に生まれる |
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1979年 | 11歳のときに女流アマ名人戦で優勝、同年、奨励会に6級で入会する。小学校卒業と同時に米長邦雄棋士に住み込みの内弟子として師事。 |
1980年 | 12歳のときに女流2級でプロ入り。14歳で初タイトルをとり、女流王将に。その後、女流王将戦10連覇。 |
1994年 | プロ棋士休業を宣言。サイババに会いにインドに行ったなど失踪騒動が起きる。 |
1995年 | 女流5段で日本将棋連盟を退会。ヘアヌード写真集を出版し話題に。豊胸手術後にもヘアヌードになるなど、世間をたびたび騒がせるようになる。 |
1998年 | 中原誠名人との不倫報道が発覚。 |
2004年 | 六本木でインド料理店を開店。タロット占い師としても活躍。 |
2005年 | 自己破産。1億2000万円の借金を負い、実家を差し押さえられる。 |
2014年 | 自伝的エッセイ「遺言―最後の食卓」を出版 |
遺言―最後の食卓
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