
無邪気・屈託のない・天使のよう―。
子どもの笑顔につくすべての形容詞を、ニコくんは一身にまとっている。
龍円さんもまた、あふれる笑みを浮かべている。
2017年で3歳を迎える愛息・ニコくんと龍円愛梨さんの現在
元テレビ朝日アナウンサーで1児の母・龍円愛梨さん。(39歳/2017年現在)
龍円さんは2012年にテレビ朝日を退職後、アメリカ・カリフォルニア州に渡り現地で活動する実業家と結婚した。
2013年5月5日に待望の第一子、ニコくんを36歳で出産したが、生後一ヶ月でダウン症であることが判明した。
愛息・ニコくんは2017年で3歳を迎えた。
龍円さんとニコくんは公園でよく遊ぶ。
すべり台で遊んだと思いきや、自分の影の動きが面白くてよくポーズを取るという。
クラゲなどちょっと変わった動物が好きなのだとか。
引用元:日刊スポーツ
http://www.nikkansports.com/entertainment/news/1635975.html
筋力が弱いというのも、ダウン症のある子どもによく見られる特徴だ。
股を開いてベタっと座るのがやっとだったというニコくんだが、最近正座ができるまでになったという。
3歳9ヶ月になった息子のちょっとした成長が、龍円さんにとって、とてもうれしいことだ。
ニコくんは生まれて三ヶ月で、初めて声を出して泣いた。
ふつうは半年もすればできるようになるお座りも、8ヶ月かけてようやくできるようになった。
2016年の3歳のお誕生日には、龍円さんが「何歳?」と聞くと指3本で示してくれたという。
手話を数百後使ってコミュニケーションが取れているが、発語はまだ単語程度。
龍円さんいわく、1歳児と同じくらいの成長過程だそうだ。
ニコくんの成長は、とってもゆっくり。
だけど、そのぶん一つ一つのほんの小さな成長が、祝宴を開きたいほどの喜びなのだ。
一緒に成長していることを実感できるのだそう。
「ニコにダウン症があるのは私にとっての“ボーナス”だと思います。」
とびきりのスマイルでポジティブに話す現在の龍円さん。
しかし、この心境に達するまでの道のりは到底楽といえるものでは無かった―。
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ニコくんの誕生が、龍円さんの人生を大きく変えた
ダウン症とは、通常は2本の21番染色体が3本になることで発症する先天性の遺伝子疾患。
知的障害や先天性の心臓、食道、甲状腺などの疾患、視聴覚障害など、さまざまな症状を伴うことがある。
ダウン症の患者はおよそ700人に1人といわれている。
乳幼児期に最も心配なのは、心臓の病気の有無など命にかかわることだ。
ダウン症のある人「幸せに思う」90%以上
龍円さんはニコくんから四六時中離れずに、育児に専念。
幸いニコくんは大きな手術をすることもなく、順調に育っていった。
2015年、龍円さんは大きな決断をする。
夫婦のライフスタイルの変化から、龍円さんは夫と別れ、シングルマザーとして行きていくことを決意する。
帰国した龍円さんは、高齢の両親のいる都内の実家で、ニコくんとひっそり暮らしてきた。
しかし2017年1月7日、『希望の塾』が7月の東京都議会議員選挙の候補者を絞り込むための試験を開催。
その試験に龍円さんも受験したことがわかり、龍円さんに再びスポットが当たることになったのだ。
試験終了後に会場を出た龍円さんは、詰めかけた報道陣に対して
都の条例や政策面で自分の意見を伝えることで小池都知事の手伝いをしたいとコメントした。
小池塾への傘下が「政治家への転身」ではないことを明言したかたちだ。
結婚・ニコくん出産―小池塾入塾に至った理由と決意
龍円愛梨さんは、1977年3月31日、スウェーデン・ウプサラ市で、後に大学教授となる父(2017年現在82歳)と母(同71歳)の間の長女として生まれた。
6歳のときに日本へ渡り、東京、北海道、再び欧州へ戻りイギリスなどを転々としたあと、1999年に法政大学を卒業。
テレビ朝日に入社し、花形アナウンサーとして活躍する。
その後、報道記者として現地での取材経験も積んできた。
そんな日々に転機が訪れたのは、2012年のことだった。
かねて交際していた日系アメリカ人の男性と婚姻届を出さないままの結婚生活をスタートするため、退職して渡米を決断。
このスタイルは日本でいえば「事実婚」。
しかし、かつて住んでいたスウェーデンでは婚姻届を出さずに結婚生活を始めることが多く、そのスタイルに慣れがあったのだという。
さらに妹が結婚して改姓していたため、苗字である『龍円』姓が途絶えてしまうかもしれないというのも嫌だったという。
小池都知事が提唱する“ダイバーシティ(多様性のある社会)の実現”に龍円さんがシンパシーを感じたのも、龍円さんがマイノリティの権利や個人の自由を尊重する意識が強いからだ。
35歳でスタートした結婚生活で、最初に成し遂げたかったのはもちろん、妊娠・出産だった。
子どもが大好きで、絶対にお母さんになりたいと思っていたという龍円さん。
高齢出産に分類される年齢だったものの、妊娠がわかったときのうれしさは『万々歳』だったという。
妊娠中の生活は母子ともに大きなトラブルはなかった。
そして、2013年5月5日、無事に出産の日を迎えることに。
龍円さんはニコくんの出産時について、「いきむように医師から言われて、ものの10分もしないうちにポーンと生まれてきた」と振り返る。
無痛分娩で、意識ははっきりしていた。
すぐに抱っこさせてもらえて、ぬくもりが感じられて、いろんな思いが駆け巡った。
ニコくん誕生時の体重は、2,449グラム。
我が子を抱き寄せたその頬を、幸せに涙がつたう。
人生最良の瞬間だった。
ダウン症発覚
退院までの2日間、ニコくんはやや低体重ではあったものの、NICUに入ることなく龍円さんとずっといっしょにいられた。
その理由は、誕生後の検診で特に異常が見られなかったからだ。
アメリカは医療費が高い。
そこで龍円さんとニコくんは2日で退院。
そこから、慌ただしい育児生活が始まるはずだった。
しかし、ニコくんは、40ccあげてくださいと言われていたミルクを5cc飲むのがやっとだった。
とても食欲がなかったのだ。
寝ていることが多く、声を上げて泣くこともしない。
母乳をあげてもむせてしまう。
龍円さんは10日間で8回も、それぞれ別々の病院に連れていった。
しかし、医師たちは「大丈夫です。健康です」というばかりで原因はわからなかった。
原因がわからない龍円さんはとにかく1ccでもミルクを飲ませることに神経をとがらせる生活を続けて、睡眠もろくに取れない日々が続いた。
そして、生後一ヶ月たったころ、呼び出された病院からダウン症があることがわかりましたと告げられる。
医師は説明のあと、ティッシュを置いて部屋を出ていった。
龍円さんはその場で泣き崩れてしまった。
いろいろな思いが頭を駆け巡る。
<私のせいだ。私がサーフィンを好きだったから?私の食べ物がよくなかったから?>
ニコくんの将来はどうなってしまうのだろう…。
なんとか家にたどり着いた龍円さんは、日本にいる母に電話をして、ダウン症のことを伝えた。
すると母は
「だから何?寝ているニコちゃんを見なさい。昨日と同じ。ニコちゃんは、何も変わっていないのよ!」
母の励ましに、龍円さんは背中を押された。
告知を受けた瞬間に何かを失った気がしていた。
しかし、じつは何も失っていないことに気づいたのだ。
ニコはニコ、私が命に代えても守りたい子。
とにかく絶対に幸せになろう。
そう思い、ダウン症と向き合うことに決めたのだ。
アメリカはダウン症について手厚いサポートが受けられる環境が揃っていた
龍円さんがブログを立ち上げたのは2014年3月21日。
妊娠中に検査を受けたにも関わらず異常が見つからなかったこと・言語療法など、アメリカの障害に対する手厚いサポート体制が存在することなどを綴っていった。
とくに、アメリカでのダウン症のサポート体制について書いたところ、ダウン症の子どもを持つ日本で暮らす人からの反響がすごかったという。
アメリカでは、特別な支援を必要とするスペシャルニーズ專門のスタッフが配置されているのが一般的だ。
また、どこに住んでいても手厚いサポートが受けられる法律もある。
しかし、龍円さんのブログに多かったのは
日本の保育所・託児施設などのスタッフの手薄さについてのコメントだった。
大都市はまだしも、地方ではほとんど何もケアがないところもあった。
スペシャルニーズのある子どもや親同士が集まる場所も機会もない。
なかなか情報を得られない。
龍円さんはブログを通じて、日本のママたちの役に立つかもしれない、と思い始めていた。
人に伝えるプロフェッショナルとして―龍円さんの活動が始まった
龍円さんは元アナウンサー。“人に伝える”プロフェッショナルだった。
そこで龍円さんは、スペシャルニーズのある子を持つ母親たちを励ましてつないでいくことに、使命感を抱いていく。
2015年に帰国したあとじゃダウン症への理解とサポートを広げるためのさまざまな活動をはじめることに。
言語療法、子どもと手話やジェスチャーで話す「ベビーサイン」などの講習、親子の交流の場となる「DS(ダウン症) SMILE CLASS」の開設・主宰を行った。
2016年11月にはベビーサイン認定講師の資格を取得し、2017年1月にはシングルママと子どもをサポートする「ママユナイテッド」の立ち上げに参加、精力的に活動を続けている。
小池都知事の理念と共鳴―小池塾入塾の真相
小池都知事はダイバーシティ(多様性のある社会)の実現に向けて、都政改革を進めている。
龍円愛梨さんは、ダウン症のある子どもを持つ母親として、育児の現場にいる者として、民間の子育てや教育・保育環境の充実などのために都知事の政策を直接サポートしたいと思ってきた。
そう考えた龍円さんは小池都知事の政治塾『希望の塾』政策立案部会の試験を受ける。
そして2017年2月2日、合格通知を受け取った。
日本の教育現場を変えたい
アメリカでは、あらゆるスペシャルニーズのある子が通常学校・学級で過ごすインクルージョン教育が広く実践されている。
本人にもいい効果があり、周囲の子もいろんなニーズがある子ということを理解し、どう接し、手を貸せば良いのかを学んでいく。
ところが日本では特別支援学校・学級と「健常者」「障害者」が分かれるという実態がある。
龍円さんは、ニコくんが就学するまでを目標に、日本の教育現場が変わってほしいという思いがあるという。
だから小池都知事の『希望の塾』に入塾したのだ。
障害のあるすべての子どもたちへの偏見や差別をなくすためにも、ダウン症のある子どもを見かけたときには
<かわいそうな子>
と思わないでほしいと龍円さん。
対応の仕方がわからなければ、その親に質問していい、質問大歓迎だという。
子どもたち同士に壁はない。
大人同士が本当のバリアフリーな日本を作っていく必要がある。
ダウン症の子を育てる元アナ・龍円愛梨さん「決して不幸ということではない」(AbemaTV)
元テレビ朝日アナ・龍円愛梨さん、ダウン症の我が子との生活を語る(AbemaTV)
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